短い春も過ぎて、すっかり初夏の日和となり
梅雨を感じさせる雨の日も多くなって来ました。
この番組では、ここのところ、京都市内各地域の
春のお祭りの話題を連続してお送りして来ましたが
今週からは、少し話題の方向を変えてみたいと思います。
4月12日には東山区大和大路四条付近で、また
4月23日には亀岡市で、歩道や防護策などのない道路で
自動車が暴走し、歩行者が多数死傷する事故がありました。
その後も全国各地で、似たような事件の報道が多いような気がします。
先日もこの番組でお話ししましたが
自動車が暴走して来た場合、その圧倒的な速度とエネルギーの違いのために
歩行者にはほとんど、事故を防ぐための手だてがありません。
唯一可能な防止策は、十分な強度のある障害物の影に
歩行者が隠れて逃れることかと思います。
その意味では、わずかな段差の歩道や、華奢な防護策が有効かどうかも
はなはだ疑問ですし、景観の面からは目の敵にされている電柱が
暴走する自動車から実を守る、最も有効な障害物なのかも知れません。
さて、今日のお話しは、御池通の信号についてです。
御池通の寺町から東洞院にかけての交差点の信号の
パターンが以前と異なっていることにお気づきの方も多いかと思います。
四条通(寺町〜東洞院)で2010年に導入された「歩車分離式」信号が
昨年2011年12月から、御池通でも導入されています。
<京都新聞/御池通に「歩車分離」導入/信号無視の常態化解消へ>
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20111206000030
歩車分離信号の目的は、主に
歩行者が横断歩道を使って道路を横断する時に
自動車などが交差点に進入しないようにして
歩行者の安全性を高める、と言う点にあります。
<京都府警察/歩車分離式信号機の導入>
http://www.pref.kyoto.jp/fukei/kotu/kisei_s/bunri/index.html
そのため、四条通では
(1)四条通(東西方向)の車両・歩行者が青
(2)南北通(東洞院など)の車両のみが青
(3)東西・南北の全部の歩行者信号が青
の3つのパターンを繰り返して
南北方向の細街路から交差点に車両が進入する時には
全ての歩行者信号が赤になるように設定されています。
一方、御池通では、このパターンが少し、ちがっています。
御池通では
(1)御池通(東西方向)の車両・歩行者が青
(2)南北通(東洞院など)の車両・歩行者が青
(3)東西・南北の全部の歩行者信号が青
となっています。
<東洞院御池交差点/2012年5月25日>
つまり、四条通よりも御池通の方が
南北方向の歩行者信号が青になる場合が多くなっているのです。
また、御池通の場合には、車両と歩行者がともに交差点に進入する場合が
多くなっているのも特徴です。
このような、御池通の信号パターンが採用されている理由は、どうも
御池通に沿った歩道を通行する歩行者や自転車による
南北方向の細街路との交差点での「信号無視」が非常に多かったためのようです。
つまり、御池通の歩道を通行する人たちが、信号を待ちきれなかった
ということです。
私自身も、自転車で細街路から御池通の交差点に進入する際に
まったく左右を確認せずに信号無視で横断歩道を渡ろうとする自転車と
衝突しそうになったことが、何度もあります。
ですから、この信号無視が常態化していることそのものは、
大きな問題だったと思いますし、歩車分離信号の導入によって
歩行者や自転車の信号無視が減るのであれば、悪いことではないとも思います。
しかし、ことの本質は、そこにはないのではないでしょうか?
つまり、自分の側の信号が青であったとしても、赤信号を無視して
暴走してくるクルマもあるかもしれないのが、この世界です。
つまり、信号にさえ従っていれば、安全が守られると考えるはできないのです。
ましてや、自分の側の信号が赤であるにも関わらず、全く安全確認をせずに
交差点に進入することは「自殺行為」以外の何者でもありません。
私は、
「信号を守るように、教育や指導を徹底する」とか
「守りやすいように、信号のパターンを変える」などという
考え方や方法そのものが、本質を取り逃がしていると思うのです。
極端に言えば、私は
「安全さえ確認できれば、赤信号であっても、進行してかまわない」
と、思っています。たぶん、この考え方は、ある種の「良識ある人々」から見れば
非難されるべき考え方と映ることでしょう。それは承知しています。
しかし、何よりも
「自分の安全は、自分の注意力を傾けて、自力で確保する」
「機械(信号機など)に支配されることなく、自分の行動は自分で決める」
「自分だけでなく、周囲の人々の安全も、自分自身で高める」
ということが、今の私たちに最も欠けていて、必要とされていること、
すなわち「自律性」と言うことなのだと思うのです。

